お店を仕事にしたいと思った日
一周年を迎えるにあたり、
今日から数回に分けて牛スジの
下ごしらえを始めています。
合わせて、一周年を迎えるに
当たっての心境なんかを
書いていこうかと思います。
しかも、一日じゃ書きつくせないので
下ごしらえのごとく、これも
数回に分けてお送りしますd(^_^o)
題して、
『パプリカができるまで』
シリーズ(^O^)/
まず最初は、やはり
お店を仕事にしたいと思った
きっかけからですね_φ( ̄ー ̄ )
私は、両親が認めるくらい
変わった子供でした。
人見知りで友達があまり
いませんでしたが、
突然思い立つとクラス全員を誘って
遠足を企画したり、
勝手に新聞部を発足して
クラス新聞を毎月作ったり…。
明るいのか暗いのか、
積極的なのか消極的なのか
わからない子供でした。
周りの目を全く気にせず、
興味のないことは絶対にやらない
という困ったちゃんでもありました。
興味のないこととは特に、
すでに出来上がった
予定やしきたりで、
何でもかんでも自分で
一からやらないと
やる気が起きない子供でした。
だから、学校の成績も極端で、
国語と音楽、図工以外は
てんでダメでした。
そんな私の将来を心配した親は、
勉強ができなくても卒業できて、
ちゃんと仕事につけるようにと
私に工業高校に進学校するよう
説得しました。
私は相変わらず友達が少なかったので
高校で離れ離れになって
さみしいということもないなと、
工業高校に進学しました。
当時の工業高校は9割の生徒が
勉強しなかったので、
テストがめちゃくちゃ簡単でした。
一夜漬けでも高得点が取れ、
私はいつのまにか5が並ぶ
成績表を手にしていました。
そして、運良く…というか
志願者が少ないので
大学への推薦をもらっていました。
大学で、私は社交性を磨きました。
なぜなら、毎日飲み会に
明け暮れていたからです。
大学の授業は、高校の百万倍難しく、
『興味のないことはやらない』病が
発症し、飲み会に逃避していました。
でも、その甲斐あって、
飲み会で仲良くなった先輩たちから
過去レポートをゲットしたり
家庭教師をしていただいたりして
赤点スレスレの低空飛行で
どうにか卒業できました。
あ、余談ですが、
留年留年で6年間大学に
いすわったなかで、
1年間休学したことがあります。
その休学中のパート先で
だんなと知り合いました(笑)
話を戻します。
こんな風に、低空飛行での卒業だった
ので、当初希望していた
システムエンジニアの入社試験には
ことごとく敗退…。
県外への就職も考えながら、
中谷彰宏さん著作の
『面接の達人』を読んでいました。
それには、面接の前に
自分史を書き出して、
なぜその仕事に就きたいのかを
考えよう。
というようなことが
書かれていたと思います。
それで、自分史を書き出しました。
そしたら、気づいちゃったんです。
私は昔から企画や人を集めるのが
好きで、手を動かすのが好きで、
今も飲食店に勤めていると
いうことを.…。
一気にやりたいことが見えました。
つづく…
今月は一周年セールがあります!
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